広汎性発達障害、アスペルガー症候群、高機能自閉症、色々呼び名はありますが、
共通して、
相手の目を見て話さないことが多い
といわれています。
かくいう私もそうであります。
小学校低学年時、
「なんで、いっつもこっち見て話さないの?」
とストレートに指摘され、衝撃を受けたことがあります。
そんなばかな。
話している時に相手の顔を見て何になるのだ。
と周囲を見渡してみると、
みっ、見てるーーーーー!? (;´Д`)
みんな、すっごい見てるーーー!!
むしろ何回も見てるーーーー!!!!
ずっと見てる、、、と思いきや、たまに視線外して、、、、、、また見てるーーーー!
と、周囲の、適度に相手の顔を見つつ、適度に視線を外す
という高等技術を目の当たりにし、無表情のまま驚愕していた。
(当時は表情も乏しく、よく指摘された)
自分が相手の顔を見ずに話していることに気付いてからは、
「変なやつと思われたくない」という一心で周囲の会話を観察し、
会話中の相手の顔を見る頻度、視線を外すタイミング、
何をきっかけに、視線を外し、何をきっかけにまた相手の顔をみるのかなど、細かく分析しました。
結果、
よくわからなかった。 (´・ω・`)
みんな凄すぎ。
顔を見る、視線を外す動作の前の状況からきっかけを探ろうとしましたが、
その時々によって様々なので、この理由があって顔を見る、
この理由があるから視線を外すといった、その動作に至る決定的な要因が全くわかりませんでした。
なので、
結局、雑談の維持を試みた時のように、
言葉のやり取りの3回目ぐらいで相手の顔を見る、
というようにパターン化して覚え、実行することにしました。
(パターン化に関しては上部ナビゲーション「生育歴」の【小学校~大学】を参照)
しかし、
機械的に顔を見るだけなので、
タイミングが不自然なのか、相手が不審な表情を浮かべ固まることがよくありました。
そんな顔を見ると、
今のタイミングは違ったのか?
ならば次はもうちょっと長めに相手の目を見て話してみよう、、、、
む待てよ、これいつまで見てればいいの?
もう外していい?
いや、まだか?
などと、どうしたらよいかわからなくなり、
相手の顔と机の上を視線が右往左往のうえ迷子になるという事態になり、
雑談が終了すると、魂が抜けたような疲労感でした。
現在もよくわかっていないのは同じですが、
小学校低学年からずっと、パターン化して実行することを自分に義務づけて、
できるだけ自然な動作の習得を必死に目指してきたたかいあって、
今ではそのパターン化の動作が体にすり込まれてしまい、自動的にやってしまう状態です。
今でも不審な顔はよくされ、動揺もしますが、
自動的にできるようになる前は
全ての作業を手動でやっているような感覚だったので、
それに比べればだいぶ楽になったように思います。