怒りや悲しみは自分を傷つけるだけ
最近、もっと心の中をクリアにしていきたいなあと思うようになりました。
私の心の中には、親に対するネガティブな記憶、学校で出会った人のネガティブな記憶、職場で出会った人のネガティブな記憶など、ネガティブな記憶が多すぎて、それらを少しでも思い出す度に、悲しみや怒りの感情に囚われる、ということを、今までの人生で日常的に繰り返してきました。
でも、心の中で誰かを責めて、怒ったり悲しんだりしても、相手が変わるわけでもなく、ただただ自分が辛いだけなんですよね。
どうやったら怒りや悲しみを手放せるの?
それはわかってるけど、どうしたらこの怒りや悲しみを手放したらいいかずっとわからないままでした。
「怒りや悲しみを手放すってことは、その時、私が傷ついたり、悲しんだり、怒りを感じたことを否定するってこと?」
「自分は心が狭かったんだって、そう感じてしまった自分が悪い、相手は何も悪くないって思わなきゃいけないってこと?」
「そんなこと自分にはできない。」
「私がその時感じた素直な気持ちを否定したくない」
ってずっと思っていました。でも最近、そうじゃないんじゃないかなって思うようになりました。
ジャッジしなければ怒りや悲しみは生まれない
怒りや悲しみを手放すって、起こった出来事に対してジャッジしないってことなんじゃないかなって。
悪いことされた、酷いことされた、正しい対応をしてくれなかった、すべきことをしてくれなかった、
など、良い悪い、正しい正しくない、すべきすべきでないなど起こった出来事に対してジャッジするから、怒りや悲しみが出てくる。そしてその感情で自分自身を苦しめ続ける。
もうこのままずっと自分を苦しめ続けるのは嫌だなって思うようになりました。
なので、親との記憶や今まで出会った人に対する怒りや悲しみを感じる出来事をジャッジしないことにしました。
ただ、そういう出来事があった、という事実があるだけ。映画の中の出来事のように、他人事としてスクリーンを見てる感じ。相手を責める必要もないし、自分を責める必要もない。
親子でも相性がある
そして、親と私は感性や価値観がものすごい合わない同士だったんだな、と思うようにしました。
親子といえども、別の個体の人間同士で、その二人があまりにも感性や価値観に乖離がある状態で同じ空間に暮らせば、当然、ぶつかり合うことが多くなるし、不満を感じることも多いし、相手を嫌いになったりもする。そんな逃げ場のないストレスフルな生活をしていれば、どんなに良い人でも相手を攻撃したり、優しくできなかったり、無視したくなる。
人間は誰しも、美しい面もあれば醜い面もある。心に余裕があれば美しい面だけを見せることもできるけど、余裕がなければ醜い面が出てしまうこともある。それが人間。自分もみんなもそう。
だから、母は心に余裕がなくて、あまりに自分と感性が違いすぎて、自分を批判してくる私に対して、心から可愛いと思えなかったんだろうし、優しくできなかったんだと思う。
それに対して良い悪いとジャッジしても自分を怒りや悲しみで苦しめるだけなので、ジャッジしない。ただ、母はそういう状態だったんだなって理解するだけ。人間だから仕方なかったんだなって。
親子と思うから、子供にそんな酷いことするなんてって思うけど、親子と思わず、別個体の人間同士が一緒に暮らしてただけ、と思えば、合わない者同士が一緒に暮らせばそんなこともあるよねって思える。
その時感じた感情は癒してあげる
でもその時感じた怒りや悲しみは癒してあげる。長年、自分の感情と向き合ってきたけど、怒りや悲しみがゼロになることなんてないんですよね。なので、そういう感情が出てきたら、その都度癒してあげて、なるべくポジティブな感情にフォーカスしていく、これを繰り返していく、これしかない気がしています。
感情を癒す、という方法は人それぞれですが、私は基本的に、自分のその感情に気付いてあげる、ということだけでいい気がしています。
ああ、あの時自分は悲しかったんだ。寂しかったんだ、怒っていたんだ、理解してほしかったんだ、ただ側にいてほしかったんだ、とか感情に気付いてあげる。
相手を責めることは必要じゃなくて、ただただ、自分の感情に気付いて認めてあげる。辛かったんだね、大変だったね、って自分の感情を認めてあげる。
そして、そんな感情を感じながらも今日まで生きてきた自分をすごいねって褒めてあげる。これからは自分が自分を愛して大事にして優しくしてあげるからねって言ってあげる。
楽しいことにフォーカスする
それができたら、もうそのことについて考えない。楽しいこと、笑えることに無理やりにでもフォーカスする。お笑い動画を見るでも、動物の癒される動画を見るでも、趣味の作業をやるでも、自分がリラックスして楽しめることをする。
辛い記憶を完全に抹消できたら、悲しみや怒りもゼロにできるけど、それはなかなか難しいから、悲しみや怒りが出てきたら、その都度、何度でも上記のように自分の感情を癒してあげる、それを日々繰り返していく。
そして、あらたな怒りや悲しみを創りださないためにも、人や出来事をジャッジしない。相手にはフォーカスせずに、ただ、自分の感情が今どんな状態かにだけフォーカスする。癒しが必要な感情があれば癒してあげる。相手は関係ない。
そうやっていった方が私は楽になりました。
もちろん、相手を責めたくなったり、相手をジャッジしてしまうこともゼロではないけど、そういう自分に気付くことができるようになったので、その都度、相手に向けていた視点を自分の中に向けることができるようになりました。
なので、とりあえずはこのやり方で、もっともっと、自分の心をクリアにしていきたいな、と思ってます。もっと良いやり方がみつかったり、このやり方じゃやっぱりうまくいかない、ってことになるかもしれませんが、その時はその時でまた考えます。
まとめ
上記のジャッジしない方法に加えて、「引き寄せの法則」のように、自分の感情や意識、信念が現実を創造している、というスピリチュアルな視点を取り入れると、なにかネガティブなことが起こっても、自分の中のどんな信念や感情がこの出来事を創造したのかな、と考えるようになって、相手にフォーカスしにくくなるので、より怒りや悲しみを生み出さずにすみます。
「ホ・オポノポノ」とか「潜在意識」とかも同じ感じかなと思います。
スピリチュアルなことってバカにする人もいますが、でも量子力学的には意識が現実を創造しているということは証明されているらしいし、意識によってバイオフォトンが発せられるということもわかっているらしいので、私はスピリチュアルな視点も大事にしていきたいなと思っています。