HSPは、感情を含むあらゆる感覚が敏感
HSPの人は、感情、聴覚、視覚、触覚など、あらゆる感覚が敏感です。
であるがゆえに、普通に生活しているだけで、非HSPの人には到底理解不能なほどに疲労します。肉体的にも精神的にも。
感情の敏感さについては、こちらの記事→発達障害とHSP。他人の感情に敏感すぎるという特性。で書いたので、割愛しますが、聴覚的、視覚的敏感さについて、以下で軽く説明してみます。
HSPの聴覚的敏感さ
非HSPの人の聴覚的情報の認識の仕方
例えば、聴覚であれば、非HSPの人は、
環境音(自分が聴こうと意識していない音。車の音、雨の音、電化製品の音など。)は、聴覚的には聞こえていても、脳でその音を聴こうと意識していない場合、脳で“認識する必要はない”と判断します。
その結果、聞こえない、あるいは聞こえていても全く気にならない、という状態でいられます。
音の重要度を無意識のうちに脳が判断し、取捨選択し、重要な音ははっきりと認識し、重要でない音ははっきりと認識しない(小さく、おぼろげに聞こえる)というように聴覚的情報に強弱の調整をつけて認識される、ということですね。
HSPの人の聴覚的情報の認識の仕方
環境音を全て「強」で認識してしまう
しかし、HSPの人は、
“認識する必要はない”という脳での判断がなされず、聴こうと意識していなくても、全ての音が“認識すべき音”として判断されます。
無意識の脳の聴覚的情報の取捨選択がなされません。
簡単に言えば、非HSPの人は、感覚器官(耳や目など)に入力された情報を脳で強弱の調整をつけて認識するところを、HSPの人は、全て“強”で認識する、ということです。
その結果、非HSPの人には聞こえない、あるいは聞こえていてもおぼろげにしか認識していないレベルの環境音を、まるで耳のすぐ横で聞いているようにはっきりと認識していたりします。
HSPの視覚的敏感さ
目に入る全ての情報を「強」で認識する
視覚でも、聴覚と同じように、視覚的情報の無意識の取捨選択がなされないので、全ての視覚的情報が“認識すべき情報”として、強弱の調整なく、全て“強”として認識されます。
なので、非HSPの人では気にならない色、物、景色、文字が全て重要な情報として入力されるので、ちょっと外に出ただけで、脳が情報に溺れてしまいます。
HSPが買い物に行く=勇者である
HSPにとって買い物は勇気と覚悟が必須
前述した通り、HSPはちょっと部屋の外に出るだけで、視覚的、聴覚的、感情的に様々な情報が、取捨選択されることなく、全て“強”で認識されます。
なので、自分では気付かないうちに、ただ歩いているだけで、ただ人とすれ違うだけで、ただ景色が目に入るだけで、尋常じゃなく疲労します。
それゆえ、買い物に行く、というのは日常生活では必須の行動ですが、HSPの人にとっては、ものすごく覚悟が必要な行為です。
買い物を決意する時のHSPの心の声
よし、今日こそ行く。
辛くても、ヘロヘロになっても、我慢して行く。
今日行かないと食べる物がない。
野菜も肉もご飯もなくなり、
もう3日以上具なしの蕎麦しか食べてない。
その蕎麦もなくなった今、本当に食べる物がない。
冷蔵庫の中に調味料しかない。
だから行くしかないんだ!!
というように、ここまで追い詰められてやっと、買い物に行く覚悟ができます。
ここまで追い詰められないと、行く気が起きないほど、買い物という行為はHSPにとってダメージの大きい行為なのです。
現代の勇者、それがHSPなのです。
その覚悟たるや、まるで、強大な敵に立ち向かう勇者のよう。
たとえ敗戦濃厚な戦であっても、いざゆかん、茨の道へ!
という悲壮な覚悟を胸に、一人、スーパーへの旅路を行くのです。
そして、たいていボロ負けして帰宅します。
帰宅後、精神的、肉体的ダメージを負った勇者は、倒れるようにベッドへ沈み、寝込むのです。
数時間寝込んでやっと回復します。
これを勇者と言わずして、なんと言うのか。
現代の勇者、それがHSPなのです。