目次
完全に在宅就業になりました
最近、本当に幸せな生き方ってどんな生き方だろう、とふと考えることが多くなりました。
というのも、最近、仕事の勤務形態を完全に在宅に移行しました。
職場の皆さんにはとてもよくしていただいていて、仕事量の調整もしてくれて、自分的には何も負担を感じていなかったんですが、
それでも、なぜか頻繁に体調を崩して、吐いたり、寝込んだりと仕事に支障をきたすようになってきて、出勤できない回数が増えてきてしまいました。
障害配慮ありのアルバイトでも無理なことが判明
特に仕事量、人間関係に負担を感じていないのに、なんでこんなにも体が動かなくなるんだろう
と、主治医と話したり、自分なりに色々考えた結果、
私の場合、
複数の人とコミュニケーションしながら、
週に数回会社に出勤して1日7時間働く(休憩込8時間)、
という、アルバイトのような軽い働き方でさえも、普通の人よりも精神的に負荷が多くかかってしまい、その精神的負荷が体の症状として現れている、という結論に至りました。
私は障害者として働いていましたから、仕事もコミュニケーションもかなり配慮してもらっていました。それなのに、アルバイト程度に働くことさえもできないのか、と落ち込みました。でも、ここまでできないと、逆にきっぱり諦めがつきました。
頑張ることをやめる決意をする
できないものはできないんだから、しょうがない。(-ω-)
だったら、できないことを無理してやろうとしていつも体調が悪い生活をするより、
今自分にできることを、自分の心と体の声を聞きながら、
自分なりの歩き方で、自分なりの速度で、
自分らしい人生を楽しみながら歩んでいこう
と、なんだか吹っ切ることができました。
なので、思い切って、完全に在宅で仕事をさせてもらえるようにお願いし、了承していただけました。そして、仕事量もガッツリ減らしました。
働き方を変えて気づいた事
今までは心と体の変化に気を配る余裕がなかった
で、完全に在宅就業になってしばらく経ちましたが、今までの働き方がいかに、自分に多大な負荷がかかっていたか、ということに気づけました。
今は、朝起きて、その日の自分の体調はどうか、気持ちはどうか、ということに意識を向ける余裕があります。
以前は、そんなこと気にする発想なんてなくて、ただただ、働いて、食事して家事をしてまた働いて…という感じで、仕事と家事をこなすことで精一杯でした。
仕事は普通の人より少ない量でしたし、家事も最低限のことしかしていませんでした。それなのに、たったそれだけでも私にとってはいっぱいいっぱいになってしまうことだったんですね。
楽しいと思える時間を創ることの大切さ
また、趣味の時間をとる余裕もできました。好きなことをやっている時間は本当に幸せです。
こんな、純粋に「楽しい」と思えるのは何年ぶりだろう
と自分の今までの人生を思い返してみると、
大学を卒業して、社会に出てからずっと、忘れ去っていたんだな…
ずいぶん長い間、自分は自分を見失っていたのかも…
と自分の今までを見つめ直すこともできました。
働き方を変えたら人生観も変わった
心の豊かさって思ってたよりもっと重要だった
今まで、私は、
幸せはお金の量だけでは計れない
幸せを得るには、心も豊かである必要がある
とよく言われることを頭の中だけで分ったつもりでいました。
でも心のどこかで、
そんなの綺麗ごと
お金がなきゃ何も始まらない
幸せはお金があって初めて成り立つもの
と、心の豊かさも大事だけど、それよりも優先されるべきは、普通の生活ができるぐらいのお金があること、という考えが常に心の奥底にありました。
お金がない生活というものに恐怖を感じていたんですね。
でも今、仕事量をガッツリ減らして、障害年金がないと食費も払えないぐらいの収入になって、その障害年金も、私の場合は食費と生活費でほとんど消えてしまう額なので、家賃が払えるわけもなく、一人暮らしはできない、
という、正にお金がない生活をしていますが、
その代わり、時間に余裕ができ、心に余裕ができ、以前よりも明らかに心豊かな生活をしてみて、
はっきりと、今の方が幸せと断言できます。
それぐらい、心の豊かさというものが、どれだけ人間が生きる上で大切なものなのかを、身をもって実感することができました。
もちろん、障害年金という、セーフティーネットがあってのことなので、お金が重要ではない、ということではありませんが、
それでも、今までは、心の豊かさとお金を天秤にかけたら、完全にお金の方に傾いていたものが、今は、両方が釣り合うか、ちょっと「心の豊かさ」のほうに傾いているぐらいの感じで、心の底から、両方の大切さを実感しています。
まとめ
私が今の心境、働き方に辿りつくまで、随分と回り道をした気がします。
たとえ障害があっても可能性がある限りは、正社員で週5回8時間働いて、一人暮らしできるぐらいのお給料をもらって、きちんと自立するという、できるだけ普通の人に近い働き方を目指さなければならない、とずっと思っていました。(在宅ワークは障害者雇用の安月給を補うために副職的な感じでやっていこうと考え、在宅ワークのみでの自立は当初は考えていませんでした。)
なので、どれも短期間で潰れはしましたが、正社員もいくつか経験しましたし、アルバイトやパートも色々やったことがあります。なんとか上記のように自立しなければと必死で努力して、苦い挫折を繰り返してきました。
その頃の自分の選択に対して、
不器用だったな、浅はかだったな、
できることならもっと早く気づきたかったな
とは思うんですが、でも、それと同時にそれらの経験は決して無駄ではなかったとも思っています。
私はこだわりがものすごく強いので、もし実際に何度も挫折した経験がなかったら、自分は普通の人のように働けない、ということにいつまでも気づけず、例え人からそのように助言されても受け入れられなかったと思うんですよね。
なので、ものすごく辛い経験だったけど、今の心境に行きつくためには、必要な経験だったんじゃないかなと思います。