前回の「発達障害者は知らずに常識の壁を越え、地雷だらけの大地へ着地する。」という記事で説明した通り、
アスペルガーにしろ、広汎性発達障害にしろ、発達障害特性のある方は、常識を逸脱した行動や発言をしてしまうことがよくあります。
私も数々の常識の壁を知らずに飛び越え、負傷してきたわけですが、今回は、その中の大学生時代のアルバイトでのエピソードを一つ書いてみたいと思います。
目次
発達障害者は非合理的な事が我慢ならない
重度のコミュ障のくせにアルバイトを始める
大学生時代、まだ、自分が発達障害であるとは知らない、むしろ、「発達障害」という言葉も知らない頃の話です。
もちろん、自分の常軌を逸したコミュニケーションの困難さは自覚しており、色々と支障をきたしてはいましたが。
コミュニケーションに難ありまくりなんだから、今思えばやめときゃいいのに、なんか、やらなきゃいけない気がしていたんですね。
自分の制服を見つけるのが一苦労
で、そこのアルバイト先には、個人のロッカーはなく、他のアルバイトの方々やパートさんの皆さん、全てで共有している大き目のロッカーが一つあり、そこにそれぞれの制服がハンガーでかけてある状態でした。
で、バイト先に着くと、みんなそのロッカーから自分の制服を探し出し、制服を着てから仕事をしなければならないわけです。
制服はぎゅうぎゅうに圧縮状態
ところが、そのロッカーには、全てのバイトやパートの制服が無理やり詰め込まれているため、明らかにキャパオーバーで、制服と制服の間に指一本入れるのにも相当な握力が必要なくらい、制服がぎゅうぎゅうに圧縮されたようになって入っているんですね。
本当に両手を重なった制服の隙間に入れ、「ふんっ!!」と鼻息荒くしながら、両足は肩幅に開いて踏ん張らないと、ぎゅうぎゅうに圧縮された制服の前面に付いているネームプレートを目視できない状態だったんです。
勘で探すも撃沈、を繰り返す日々
で、そんな中から実際に自分の制服を探しだすには、「この前この辺にかけたはず…」という記憶をたよりにしつつ「でもその後2日空いたから、この辺まで移動してるはず…」という分析のもと、「ここだ!!」と当たりをつけて、ぐいっと制服の前面のネームプレートを確認するわけです。
その間、ゆっくり名前の全貌を確認なんてできません。
かろうじて、名字の2文字目までが見えるぐらいまでで、もう限界です。
腕がプルプルしてきますから。
で、苦労して確認しても、全然違う人の制服だったりすることも多々あり、そうなると、焦りからくる苛立ちでつい、「誰だよお前!邪魔すんじゃねーよ!」と罪なき同僚に心の中で毒づきながら、2回、3回と延々探し続けないといけないわけです。
制服探しで遅刻しそうになる
見つからない時は、探し出すまで、10分程かかることもよくありました。
バイト先には10分前に着いてるのに、制服探しに時間を取られ、遅刻ギリギリになり、一緒のシフトの人に謝りながら仕事場に入っていくということもよくあり、私の中では、「制服探しの時間」がかなりストレスでした。
店長の制服の置き場所が我慢ならない
そんな、バイト前の制服探しのストレスが積み重なる日々の中、ある日、見つけてしまったのです。
バイトやパートの制服でぎゅうぎゅうの中に、当たり前のように存在してる店長の制服を。
店長には店長専用の個人ロッカーがあり、そちらはがら空きなのにも関わらず。
(店長のロッカーはいつも開けっ放しだったので丸見え状態でした。)
で、私、それを見た時、
いやいや、ただでさえスペースに余裕ないロッカーでみんな苦労してるのに、何お前の制服入れてんだよ。
お前のロッカーガラ空きだろうが。そっち入れとけよ。
って思ってしまいまして、
これは、「余裕の時間に来てるのに、制服探しの時間で遅刻しそうになる」という非合理的状況を改善するよい機会だな
なんて思ってしまいまして、
なんの迷いもなく、店長の制服を店長のロッカーへ移動させたのでした。
非合理的状況を改善するも、同僚ドン引き
で、そのことを同じシフトのパートさんに、意気揚々と報告したところ、
「…よくやったね。すごいね…。」
と、苦笑いで全員にドン引きされたのでした。
私としては、「みんな、これでロッカーに少し余裕ができたよ!ほめて!」って感じだったんで、ドン引きされたのがけっこうなショックでした。
どうやら、
いくら店長の制服の置き場所が非合理を生み出していても、目上の人のものを勝手に移動させるなんてもってのほか、
っていうことらしいです。
自分の常識は世間の非常識、と気付く
幸い、店長はやる気なさそうにダルダルとした人だったんで、私の非常識な奇行は気にならなかったのか、何も言われはしませんでした。
自分の判断は他人にとってとても非常識になりうる、ということを初めて理解したできごとかもしれません。
そのうえ、
なぜ非常識なのか、その感覚が全くわからない、
自分と多くの他人とはもしかして常識、非常識の線引きの感覚が全然違うのかも、
自分の常識感覚は異常なのかも、
と衝撃的に気づいた出来事だったのでありました。