生育歴

幼児期

周囲の世界に興味がなく、人と関わりたい欲求もない

なぜ皆話しかけてくるのだろう?、
なぜ一緒に遊ぼうと誘ってくるのだろう?

と不思議に思っていた。

木の皮の割れ目が同じ形の連続であることにとても興奮し、じっと観察すること、葉の葉脈を一本ずつ、途切れないように全部抜き取ること、寝転び、じわじわと太陽の光によって体が熱くなる感覚等がたまらなく好きだった。

同じ園児に遊ぼうと言われても何をしたらよいかわからなかった。
相手が一緒にしようということは、いつも何が楽しいのか全くわからず、困惑させられた。

私が何も話さず何もしようとしないので、相手はすぐに飽きてどこかへ行ってしまう。私は困惑から解放されて、安心しまた一人で好きなことに没頭する。

誘われない限り、ずっと一人で過ごした。
時折、先生に皆と一緒に遊ぶようしつこく促され、しぶしぶ集団の遊びに参加するが、みんなワーワーキャーキャーと大声を出して騒いでいるけど、その原因が全くわからない。

なぜみんなそんなに興奮しているのか、笑ったり、叫んだり、感情の起伏の激しさに圧倒され、とても疲れる。同じ遊びに参加しているのに、なぜ皆がそんなに興奮しているのか意味不明だった。

小学校~大学

雑談ができない

人の話に全く興味を持てない。
他人そのものに興味が持てない。
話しかけられても、何も感情が湧かないので、言うべき言葉も何も思い浮かばない。

それでも、学生生活では、何かとグループで行動することを求められたので、グループに所属し続けるために、必死で周囲の会話を観察し続けた。

どんな時、どんな言葉で笑うのか驚くのか、毎日毎日、ひたすら細かいデータを蓄積し、それをパターン化して覚えていった。

相槌は感情を乗せなきゃいけないことに気付く

その中で、人が話している時、無感情な反応(相槌や返答)だけでは相手が不満に思うということを知る。

あまりに無感情な反応をしていたせいか、クールぶるなと激怒されたり、何を考えているかわからなくて怖いと何度も言われるうちに気付いたのである。

反応(相槌や返答)は適度に感情を載せなければいけないらしい。

ただ「へー」というだけではだめで、驚いたという感情が声に表れなければならない。

改めて観察してみると、みんな自然に声に感情が現れている。

みんななぜ、相手の話に遅れずに、感情を乗せた反応を次々と返せるのだろう。
どうやら、みんな、自然と驚き、笑っているので、意識しなくても声に感情が表れているようだ。

しかし、私は全く感情が湧かないので、相槌を打つ度に、意識して声に感情が表れるように声の演技をしなければいけない。

雑談を継続するためには相手に質問することが必要だと気付く

また、相槌を打つだけでは、相手の話に興味がない、と取られてしまうということも知る。

なんとか雑談を継続させようと、全力で集中して聞いていても、相槌だけでは相手にはそれが伝わらないらしい。

その話に興味を持っているということを相手に感じさせるためには、適度に質問することが必要らしい。

これは、相槌の声の演技よりさらに難しかった。
何の感情もないのに質問など思い浮かぶわけがなかった。

仕方ないので、観察により蓄積したデータから、オーソドックスで、よく使われる質問パターンを抽出し、記憶した。質問をするときは、相手の話のパターンを分析し、適合する質問パターンを検索し質問を実行するという手順を、相手の話の長さに対して必要と思われる回数分、その度に行った。

さらに雑談継続のためのパターンデータを蓄積する

その他にも、

間違いの指摘はしないほうがいい、
相手が笑って話している時は、相手が面白いと思う話をしている時なので、自分も笑っておいたほうがよい、
「励まし」というものは、根拠がなく、明らかにその可能性が低いとわかっていても「大丈夫だよ」と言うことらしい

など、多くのデータを蓄積した。

そうやって、人と関わるために必要なものを私の本体の外に、どんどん後付けしていった。

自然に理解することはできなかったので、全てはパターン化して記憶した。

パターン化による雑談はとんでもなく疲労する

結果、人と関わる時は、後付けした手動でしか動かないアナログな機械だらけのスーツを着込まなければいけなくなった。

それを着込まなければ、人と関わるという行動を取ることができなかった。

でも、そのスーツの中の本体の自分は、保育園児の頃と何も変わっていなかった。

普通の人が高性能CPUで自動で実行することを、私は全て手動でやっているような感覚で、ほんの数分の雑談でも、ものすごい集中力を要する。そのため、ほんの少し雑談しただけで、その後何時間も寝込んだりする。物凄く疲れる。

学生時代は、いつも疲れ果て、学校から帰ると、何もする気が起きなかった。その日その日、学校という場に適応するので精一杯で、自分の好きなことをしたり、将来について考えたりする余裕など微塵もなかった。ボロボロに擦り減った心を引きずりながら、また心をすり減らしに行く、地獄のような日々だった。

就労時期

就労継続できず、実務スキルが身に付かない

雑談、社会的状況理解の困難、その他の特性による精神的疲労のため、就労継続できず、実務スキルが身に付かない。

様々な特性、特に、雑談、社会的状況理解の困難によって、周囲から反感を買うことが多かった。

必死に雑談に参加しているつもりでも、話にのってこない、なぜ話さない、などと注意された。

社会的状況理解では、手伝う、気を利かせるといったことができず、よく注意された。

あるとき、職場で数人が集まって何かをしていたが、それは椅子や机と同じ物体として認識され、景色の一部としか思わないので、そのまま通り過ぎ、自分の仕事をしていた。

すると、みんなで助け合ってやらなきゃいけないのに、なぜ手伝わないと注意された。

誰がどう見ても、その数人の人達は困っている様子で、それを目撃しているのに手伝わないのは非常識ということだった。

私からすると、確かにそこは通ったが、言われてみれば、なにか視界の横の景色がモワモワと動いていたような気がするが、それが、誰かが困っている状況だなんて全く気付かなかった。

似たようなことが何度もあったが、その度、私は気づかず、手伝うことができなかった。

だんだん、周囲の人達の態度が冷たくなり、最終的には上司から、仕事上必要な質問をしても無視されるようになり、指示も言葉ではなく指差しやあごで指し示すといった態度をとられる。指差しだけでは理解できないことが多く非常に困った。

飲み会は地獄のような苦痛。拷問でしかない。

飲み会は、苦手な雑談を主とする場であり、毎回地獄のような苦痛を感じていた。

私にとって、普通の人と同じレベルで雑談しろと言われることは、例えるなら、跳び箱を跳ぶのが苦手な人が、容赦なく次々と跳ぶことを強制され、それが何時間も続くような感じと言えば伝わるかもしれない。

跳べずに、跳び箱に何度もぶつかり、転げ落ち、もう傷だらけなのに、また跳べと言われる、そんな感じだ。

飲み会後は、あまりの精神的疲労から、アパートの階段を上ることができず、コンクリートの地面の上でぐったりと横になりしばらく休んでからなんとか部屋に入ったことを覚えている。

コンクリートの上で横になりながら、涙が流れてきた。悲しいとか、辛いとかそんな単純な感情ではなく、もう何の気力もなく、誰か今すぐ殺して欲しいと思った。

職場を変わっても、いつも最終的には、こんな苦痛に、この先何年も毎日耐えるぐらいなら、もう生きていたくないと心の底から願うようになる。

簡単な思考さえできず、食事もとれず、風呂にも入れない、仕事から帰ると、ただベッドに死んだように横になることしかできなかった。日常生活が全くできなくなり、仕事も思考ができない影響で全く手に付かなくなった。自分で死ぬ気力もなく、誰か早く殺して欲しい、そればかり願うようになった。誰も殺してくれないなら、どうやって死のう。そんな風に、苦痛から開放される瞬間を夢見ている時だけ、ほんの少し心が癒された。

診断後

障害者雇用で働く

自分の発達障害特性を自覚し、改善に務める。

診断を受けて、自分の社会上、生活上に困難を感じていたことは、発達障害に起因することがわかる。

自分の発達障害特性を自覚し、コントロールできるようになるために、関連書籍を読んだり、発達障害者の勉強会に積極的に参加した。

数年努力を重ね、以前に比べて、こだわりに気づき、脱することができる頻度が増えた。また、会話のメカニズムを自分なりに分析し、理解することで、以前よりも会話を楽しむことができるようになった。

現在も引き続き、改善に務める日々である。

アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク