発達障害者の共感性の低さによって生じる、物事の感じ方、捉え方の違い。

発達障害者の特性の一つとして、
共感性の低さが挙げられます。

共感性とは、
相手の立場に立って考えることにより、
他者の思考や感情に対して、

自分も相手と共通の思考や感情を抱くことができる能力

だと私は理解しています。

共感性があるから、
自分は経験したことのない他人の辛い体験に涙することができるし、
自分が経験したことのない
他人の失敗談やハプニング話で笑うことができるのだと思います。

でも、
発達障害者はその

「相手の立場に立って考える」

の時点でつまづきます。

なぜなら、
元々、定型発達者とは様々な面で、
根本的に感覚、感じ方、捉え方が異なっている部分が多々あるからです。

いくら発達障害者が定型発達者の立場に立って考えたつもりでも、
その相手の立場に立って考える際に、
ベースとして発達障害者特有の感覚、捉え方で考えてしまうので、
そこから導き出される思考や感情も
定形発達者の抱く思考や感情とは共通のものにはならない
のです。

その結果、
定型発達者ならば、普通は笑う場面でも、
何が面白いのかわからない、
普通は気を使って相手に手を差し伸べる場面でも、
その横を素通りしたりするのです。

他にも、

自分はされても嫌だとは思わない行為や言動を
自分の感覚のまま、
相手にその行為や言動をしてしまうけど、
実は多くの定型発達者が、
それを不快に思うという場合や、

自分が体験したことのないことに対して、
想像力が働かないので、
自分がされてみて初めて、
「これをされると嫌な気持ちになるんだ」と理解するといった場合もあります。

後者の場合は自分が全く同じ状況を体験できれば、
相手との感情の共有ができるので改善の余地があります。

でも、定型発達者なら、
想像で疑似体験し感情の共有ができてしまうような些細なことでも、

発達障害者はいちいち同一体験を得ないと感情の共有ができないので、
定型発達者よりも感情の共有が困難であることは間違いありません。

というように、共感性の低さによって様々なコミュニケーション上の問題が引き起こされます。

 

とか偉そうに言っている私自身も、
共感性の低さで様々なコミュニケーションの失敗を体験してきました。

特に学生時代は、
発達障害者ならではの共感性の低さを遺憾なく発揮し、
ほんとに全く空気を読めなかったし、周囲がなぜ笑っているのか、いつも全くわかりませんでした。

発達障害関連本では、
けっこう有名だと思いますが「ダーリンは宇宙人」だったか、
タイトルがうろ覚えなのですが、
夫が発達障害者で共に暮らす中での
発達障害者ならではの苦労などをコミカルに著したエッセイ本があるのですが、

それに準えて言えば、
発達障害者である私が宇宙人という感覚というよりも、
私以外の全ての人間が実は人型の宇宙人であった、
というのに近い感覚
を持っていました。

それぐらい、周囲の人間の感情の動きや行動が理解できなかったのです。

 

そんな私が、学生時代、最も理解に苦しんだことの一つに、席替えがあります。

なぜみんな席替えをしたがるのか

席替えをすると、今まで話したことのない人と話せて、
交友関係を広げることができるなどと、教師は言います。

バカバカしい。
そんなことあるわけないだろう。

席替えで、ちょっと物理的に距離が近くなったぐらいで、
突然、「隣の席の人と話してみたい」なんて、
急に心の距離まで近くなるわけがない。

きっと、教師特有の
「みんな明るく、仲良く、元気よく!」的な
お花畑な妄想ゆえの発言だろう。

はいはい、スルースルー。

と、教師の言う席替えの理由など
全く信じていませんでした。

だから、なぜ、みんなそんなに席替えをしたがるのか、皆目検討が付かない状態でした。

せっかく慣れ親しんだ空間を変えてまで、皆一体何を求めて席替えをしたがるのか。

こんな意味不明なことに毎回付き合わされるのには、もううんざりだ!!
私はここを動かないぞ。やりたけりゃ、お前らで勝手にやってろ!!

と、ブルーシート引いて座り込み抗議をしかねない勢いで、
毎回人知れず、憤りを感じていました。

そして、時が流れ、現在、

正直、今もまだ、その感覚は全くわからないです。

席替えとか、ほんと意味わかんない

でも、自分の発達障害特性を自覚し、
定型発達者の思考を学ぶ中で、

当時、私が華麗にスルーした教師の言葉が本当であったことがわかりました。

つまり、
私自身は「席替えしたい」という感覚は未だにわからないですが、

周囲の定型発達者は、

席替えによって「新たな交友関係を築きたい」、
「話したことのない人と接して新鮮さを味わいたい」

という理由が
「席替えしたい」の根底にあるらしいのです。

これは衝撃的事実でした。

私は生まれてこのかた、「新たな交友関係を築きたい」、
「話したことのない人と接して新鮮さを味わいたい」などという感情は
抱いたことがなかった
からです。

そんなこと思ってみなかったです。
私にとっては、ただただ、慣れた景色を無理やり剥奪されるだけの、
不快極まりない行事だったからです。

基本的に他人にはあまり興味が持てなかったし
「友達」というのは、学校の授業で教師に「適当に班を作って」などと言われた際に、
みんな仲がいい者同士が集まるので、
その際に班に入れてもらえるように普段から会話の輪の端っこの方にいて、
たまに頑張って会話に入るという作業をしていた先のグループの人達
という認識でした。

教師の脳内は全然お花畑ではありませんでした。

むしろ私の脳内こそ、希少種の見た目グロい系の花を咲かせていたわけです。

以上、共感性の低さは色々な場面で定型発達者との感覚のズレを生じさせるというお話でした。

アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク

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