発達障害幼稚園児時代。色の認識分別が細かすぎる。

幼稚園時代から目に映る色の構成要素がわかる

私の人生で唯一、幸せだった時代、幼稚園時代のお話。

発達障害者は、定型発達者とは、視覚、聴覚といった五感の感じ方が大きく違う部分があると言われていますが、私もそれに当てはまるかもしれない特性がありました。

それは、物心ついた頃から、常に目に映る物の色の構成要素がわかった、という点です。

どういうことかと言いますと、
現実の物の色って、言葉では、「赤いりんご」とか、「緑の箱」とか、「茶色い机」とか言いますが、いざ絵の具の赤や緑、茶色で描いても、実際の物の色とは同じにはなりませんよね。

混色してそれっぽい色にすることはできますが、何色と何色を混ぜるか、それらの配分はどれくらいにするか、など細かな調整をしないと全く同じ色にはなりません。

その、何色と何色をどれくらいの分量ずつ混ぜればいいか、が現実の物の色を見た瞬間にすぐわかる、ということです。

というか、私は、物の色を単純に「赤」とか「緑」とか、単色で認識していません。

同じ物を見ても、定型発達の方は、

「あの赤い色の服」

と言う時も、私は、

「赤に30%ぐらいの白と10%ぐらいのグレーを混ぜた、赤に近い濃いスモークピンク色の服」
(現実の色はたいてい少しグレーが入っています。)

と認識しています。

なので、

「前に赤い色の服着てたよね」

と言われても、問答無用で、

「そんな色の服は持ってないよ」

と答えてしまいます。

そしてしばらく会話していくうちに

「え!あれのこと?」

とわかるのですが、私には、どう見ても「赤」には見えないのです。

「え!あの色をみんな赤って呼ぶの?知らなかった!」

と、初めて自分の色の認識と他人の色の認識の大きな違いに気づいた時は、ものすごくびっくりしました。

この色の認識の違いが、赤だけでなく、全ての色においてあるので、しょっちゅう、みんなが何について言っているのかわからず困ることが何度もありました。

現実の色と全く同じ色にするため、常に混色でお絵描き

そんな感覚があったので、幼稚園時代は、お絵描きの時は、

たいてい、クレヨンや絵の具を何色か混ぜて、細かい配分調整をしながら描いてました。

クレヨンは6本ぐらいのほぼ原色しかないようなセットしか持ってなかったので、その原色を画用紙の上で重ねたり、点描したりして、ちょっと離れて見た時に、現実の物と全く同じ色になるように描いていました。

いつも、

なんでみんな実際の色と全然違う色で描いてるのかな

と不思議でしょうがなかったです。
みんなには、ほぼ同じ色に見える色でも、私には全く別の色に見えていたからです。

色に敏感だからこそ感動できる瞬間がある

とまあ、絵を写真のようにリアルに描く時ぐらいしか、活用できない、あまり実用性のない特性なので、得するより困ることの方が多い特性だったわけですが、それでも、時には、その特性があるがゆえに感動できる瞬間があります。

それは、何気ない日常の一瞬の風景の中にあります。

例えば、

電車の窓から差す光が人々の肩に当たり、光の粒がキラキラと飛び散るように見える瞬間、

まるで、みんな妖精か天使なんじゃないかと思うほど綺麗で見とれてしまいます。

緑の葉に光が当たり、黄色やオレンジ、赤がキラキラとゆれて見え、まるでファンタジーの世界にいるような感覚になったり…

隣の知り合いは、同じ景色を見ているのに、誰も感動するどころか、綺麗だとも思ってない中、私一人が、感動に心震わせていたりします。

まとめ

発達障害者の独特の感覚認識は、幼稚園など、幼い頃から表れていることも多いです。

なので、もしも、お子さんがなにか変わった感覚があると感じたら、その感覚ゆえの困難さを見逃さずに、細かいケアをしてあげてほしいな、と思ったりしています。

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