「発達障害的こだわり」じゃなくて「アダルトチルドレン的承認欲求」?

私は、最近、自分のアダルトチルドレンな部分を分析していくうちに、自分は、ものすごく自己承認欲求が強い、ということを自覚するに至りました。

例えば、

友人でも家族でも、同僚でも、誰かと話していて、何か、自分の意見に対して、批判、否定、理解不足を少しでも感じると、

何とか自分の意見を肯定して欲しい、
自分のことを理解してほしい、
自分を受け入れてほしい

という強迫的に近いほど強い欲求に突き動かされて、なんとか相手の意見を変えさせ、自分の意見を肯定してもらえるようにしようとしてしまいます。

「こだわり」じゃなく「承認欲求」だと気づく

この、

自分の意見を曲げない、
自分の意見を相手に押し付ける、
相手の意見を受け入れられない、

という症状は、私はずっと、発達障害ゆえの「こだわり」の強さだと思っていました。

でも、ここにきて、

あれ?これって、発達障害のこだわりっていうより、アダルトチルドレン的な承認欲求じゃない?

って気づいてしまったわけです。

もちろん、発達障害的なこだわりの強さもあるんですが、他人との会話における上記の症状は、承認欲求と考えた方が自分の中でものすごくしっくりきたし、他人からの否定にものすごく気づ付きやすく、落ち込みやすい、なんなら何か月も引きずってしまう、という自分のやっかいな部分の説明もつく気がしました。

なぜ承認欲求が強くなってしまったのか

母からありのままの自分を肯定してもらったことがなかった

母は自分が正しいと思ったことしか肯定しない

私の母は幼い頃から、常に批判的な人でした。

朝のニュース、学校の先生、同僚、夫、様々な人、物事に対して、

あのやり方は間違ってる
こうするべきだ

と相手を批判し、いかに自論が正しいかを朝から延々と食卓で子供に対して語る人でした。

それは朝にとどまらず、夜にテレビでバラエティ番組を見ている時も、それをただ純粋に楽しむ、ということはせず、あれこれと批判して子供に自論を刷り込むことに余念がありません。

母は自分の価値観と他人の価値観は正反対になり得る、ということを理解できない

母が肯定的な言葉を言う時は、めったにありません。
大げさじゃなく、1年に数回程度です。

で、そのたまに肯定的な言葉を発する時も、

自分の理想、自論に当てはまった人、物事にのみ、称讃し、肯定する

というものでした。
それ以外は一切受け付けません。

自分の考えのみが正しい。
自分が正しいと思ったことは、世界中で正しいとされるべきこと、

という考えが母の根本を作っています。

だから、

私はそうは思わない、
あなたの意見は、この部分が矛盾してるんじゃない?
あなたは、それが持つこういう一面に配慮してないんじゃない?

などと、自論における欠点、矛盾を指摘されても決して、自論を考え直す、ということはしません。

そんなことを言ってくる相手が間違っている
相手は私の持論の正しさにまだ気づけていないだけ

というように、どこまでも、自分を肯定し、正当化していきます。

否定の言葉を投げつけられ続けた子供時代

そんな「否定」という言葉の刃は当然のように、子供である私にも毎日毎日向けられました。

私が何か自分の意見を言っても

それはここが間違ってる
こうしなさい

私が何かに挑戦しようとしても

それはこういうふうに失敗することが多い
そんなことはしないほうがいい

などなど、とにかく否定とネガティブな言葉を無防備な子供に対して毎日のように浴びせてくる人でした。

そんな中で育ったので、私はいつしか、母の前では自分の意見や感想、気持ちを言わなくなりました。絶対否定される、ということがわかっていましたし、それがものすごい恐怖でした。

母が否定の言葉を発する瞬間、私はいつも体に緊張が走り、身を固くして、心は恐怖に震え、その言葉の衝撃にただただ耐えるのみでした。

そして母が去ると、私はやっと詰めていた息を吐き、身体から力を抜くことができました。

そんなことは幼少期から当たり前のようにやっていたので、普通の子供は母親の発言にそんなに怯えない、ということは大学生ぐらいになるまでずっと知りませんでした。

大人になっても続く母による心の支配

他人に否定されると、子供の頃母に否定された時と同じ苦痛を感じる

そして、現在、自分の承認欲求の強さに気づいた時、大人になった今でも、

相手から否定された時に感じる、

恐怖感、焦燥感、
そして、それらの感情を払拭するために、脅迫的に自分の意見を肯定してもらおうとする自分の心理状態

が、まさに、子供の頃に、母の否定の言葉に怯えていた時の心理状態と全く同じだということにも気付きました。

その頃と全く同じ。
自分は今でも、目の前の人が母とは別人であっても、母の恐怖に怯えているのです。

物理的には母と距離をとっていても、心は未だに母に支配されている。

この心の支配こそが、アダルトチルドレンをいつまでも苦しめ、回復を困難にさせる一端なのではないかな、と私は思っています。

子供の頃に、自己愛の強い母親に傷付けられ、支配されてできたトラウマは、ここまで深く、自分の芯の部分まで蝕んでいたのか、ということに本当に驚きました。

まとめ

要するに、私は、未熟で間違いだらけのありのままの私の意見や行動を母から肯定してもらったことがなく、肯定してもらえるのは、母の言う通りにした時だけ、母の思う正しさに当てはまった時だけだったのです。

ありのままの自分を愛してもらい、肯定され、受け入れてもらう、という経験に飢えたまま成長したため、大人になっても、他人に、母からもらえなかった自己肯定、自己承認を強く求めてしまうようになってしまったのではないかな、と私は思います。

母という病 (一般書)

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